粟田純徳氏、400年続く石工の生い立ちは? 情熱大陸

9月6日(日)23時~、TBS系列 「情熱大陸」で、

粟田純徳(あわたすみのり)さんがご出演されます。

【番組内容】

織田信長の「安土城」の石垣をつくった石工集団・穴太衆。

美しい石垣が残る滋賀県坂本に居を構え全国で、時には海外でも技を披露。

粟田純徳は建築家・隈研吾に請われ、アメリカで石垣をつくったこともある。

文化財の修復として貴重な古い石垣の再建には、当時の技を熟知した粟田の技が欠かせない。 

だが今回は、岡山県の寺院から長さ100m新規の石垣造りを受注。

一体どんな石垣が完成するのだろうか。  

「石の声を聴け。石の行きたいところで持っていけ」というのが穴太衆に伝わる教えだ。 

歴史を背負った男の“石と向き合う日々”を取材した。

番組では、粟田純徳さんのご活躍ぶりを取材されるようです。

400年続く石工とはどういうことなのか?

粟田さんの生い立ちを調べてみました。

スポンサードリンク

粟田純徳さん、経歴プロフィール

1968年、滋賀県生まれ。

地元の中学校を卒業後すぐに、祖父・粟田万喜三氏に師事。

2005年に父で14代目の粟田純司より会社を受け継ぎ15代目を継承。

現在、株式会社粟田建設代表取締役。

趣味は、サッカー教室に通う息子の試合観戦。

仕事終わりの一杯が至福のひととき。

15歳で、家業を継ぐ決断をされたようです。

一般的に中学校卒業後は、進学することが当たり前ですが、

石工の世界は、違うのかもしれません。

早く修業を開始しないと、一人前になれない世界なのかもしれません。

それも、実の祖父に弟子入りをしている訳なので、

代々、同じように繰り返されてきたやり方なのでしょうね。

15代目を継承する重圧もあると思いますが、

10代の頃から、弟子入りすることで、

余計なことを考える暇なく、職人としての仕事に打ち込むことができたのでしょう。

400年続く石工とは?

粟田純徳さんは、400年続く穴太衆(あのうしゅう)の末裔です。

穴太衆という言葉が、耳慣れない言葉でしたので、

調べてみました。

穴太衆とは、近江国(滋賀県)琵琶湖西岸の穴太(あのう・あのお)という所に居住した石工(いしく)集団のことです。

石工とは、石材を扱う工人、つまり石の職人のことです。

高く堅牢な石垣を積む穴太衆の技術は、安土城(滋賀県)以降、城の普請で引っ張りだこになり、「石工といえば穴太」が定着して、近江出身でなくても石工のことを穴太衆・穴太方などと呼ぶようになりました。

当初は固有名詞だったものが、石工全般のことを指す普通名詞になっていったのです。

引用元:城びと

穴太衆が行う、石の積み方を穴太積(あのうづみ)と言います。

自然石をそのまま積み上げる方法。

加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。

そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。

引用元:wikipedia

粟田家

江戸時代初期の阿波屋喜兵衛が祖で、会社組織として存続している。

1964年(昭和39年)に十三代目が粟田建設を商号とし、1972年(昭和47年)に有限会社化と十四代目継承、2005年(平成17年)に株式会社化。

粟田純徳(すみのり)社長が「第十五代目穴太衆頭」として活動を行っている。

粟田家は坂本を門前町とする比叡山延暦寺の石積みの仕事を代々請け負ってきたほか、第二次世界大戦後は兵庫県の竹田城や篠山城、滋賀県の安土城や彦根城、さらに高知城、洲本城などの石垣修復を手掛けた。

近年は文化財の修復にも競争入札が導入されて受注できない石垣修復も多いが、2010年にアメリカで実施したワークショップで野面積の頑丈さと芸術性が評価されて、ダラスのロレックス支社などでも施工するようになっている。

引用元:wikipedia

隈研吾さんが設計したアメリカ ダラスにある「ロレックスタワー」。

ビルの3面を約50メートルにわたり、最高約5メートルの石垣に穴太積を採用しています。

400年続く石積みの技法が、隈研吾さんや海外のトップブランドに

認められているのを初めて知りました。

スポンサードリンク

粟田純徳さんの、生い立ちは?

私に穴太積みを教えてくれたのは祖父です。

私が小さいころ、祖父は出張が多く、おもちゃとかも買ってもらえるのが嬉しくて、遊びに行く感覚で祖父によくついて行っていました。

祖父の仕事場は小屋のようなところで「伴場」といい、ここでは職人さん同士が一緒にご飯を食べたりして共同生活していました。

私は小学校の頃からよくそこに行っていたのですが、職人さんたちがお酒を飲みながら面白おかしい話をしてくれる楽しさがありました。

そんな環境の中で育ったので、この仕事をするのは当たり前というか、嫌とかの気持ちは全くなかったですね。

当たり前に継いだ感じでした。

中学を卒業する前に今後の進路を決めようとした時、祖父も年配となり教えられる期間が少なくなってきたと感じて、卒業してすぐに働くかを迷いました。父は反対しましたが、最終的には自分で継ぐことを決めました。

引用元:いろり

おじいちゃん子だったようですね。

粟田純徳さんの祖父は、人間国宝 粟田 万喜三氏(あわたまきぞう)です。

生年 明治44(1911)年

没年 平成1(1989)年9月11日

出生地 滋賀県大津市

黄綬褒章(おうじゅほうしょう)を受賞されています。

農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する方として、国から認めらた方となります。

偉大な祖父の影響を受けた生い立ちのようです。

また、粟田純徳さんの地元「大津市坂本」も石工として影響を与えているようです。

比叡山延暦寺の門前町とし約50ヵ寺の里坊がある地域です。

平成9年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる城の石垣などを作った石工集団の出身地であり、里坊の石垣は自然石を巧みに積み上げた堅固(けんご)なもので、白壁の塀と調和してしっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせています。

引用元:滋賀・びわ湖 観光情報

スポンサードリンク

まとめ

400年続く石工とはどういうことなのか?

粟田さんの生い立ちを調べてみました。

幼い頃から、祖父である人間国宝「粟田万喜三氏」の影響を受けて

育ったことが大きく影響しているようですね。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする