こんにちは。
今回は、中国料理のシェフである脇屋友詞(わきや ゆうじ)さんを取り上げます。
脇屋さんは、NHK『きょうの料理』で知られる料理人。
現在は自身のYouTubeチャンネルで簡単で美味しいレシピを紹介し、チャンネル登録者数は7.3万人もいる人気ぶりです。
そんな脇屋友詞さんの実家の家族構成(父親、母親、弟、妹)が気になりましたので調べてみました。
さっそく見ていきましょう。
脇屋友詞の実家の家族構成は5人
出典:http://blog.livedoor.jp
脇屋友詞さんの実家の家族構成は、5人で次の通りです。
・父親
・母親
・脇屋友詞さん
・弟
・妹
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/
脇屋友詞さんが、料理人になったエピソードが見つかりました。
もともとは父が決めた道でした。
父は易学者で僕が中学に進んだころから「友詞には食神がついている。料理人になれ」と言いはじめたんです。
引用元:https://www.famille-kazokusou.com
脇屋さんは、勝手に人の人生を決めないで欲しいという気持ちがありましたが、
大正生まれの父は厳しく、家庭内では絶対的な存在。逆らうことなどあり得ません。
と話しています。
その後、
東京・赤坂にあった中国料理店「山王飯店」(2012年閉店)への就職を父が勝手に決め、中学の卒業式の3日後に住み込みでの修業が始まりました。
とても厳しい父親だったのでしょうね。
とはいえ、脇屋さんは父親の宣言通り料理の道で成功されましたので、
その目は確かなものだったのですね。
脇屋友詞の母親の死因はガン
出典:https://hitosara.com/chef/88wakiya.html
脇屋友詞さんの母親は、52歳で亡くなっています。
1992年のことで、脇屋さんが34歳の時でした。
引用元:https://www.famille-kazokusou.com/
死因は、癌でした。
その当時の様子について脇屋さんは次のように明かしています。
恩返しはこれからという時期に母にがんが見つかり、長男として医師に呼ばれました。
医師から母の余命を「長くて1年」と告げられた時の衝撃は、言葉にできません。
帰り道に車をガードレールにぶつけてしまったほど頭が真っ白になりました。
母親が旅立ったのは、癌が見つかって8か月後でした。
きょうだいで順番に病室に泊まり滋養スープを届けたそうです。
その経験から、
食というのは美味しさだけが全てではなく、誰かに元気になってもらうためのもの。
生命をつなぐために食はある、という料理人としての根本を母に教わりました。
と話しています。
家族にこんなに愛された母親でしたので、きっとそれ以上に家族に
愛を与えた素敵な母親だったのではないでしょうか。
脇屋友詞の父親の死因は?
脇屋友詞さんの父親は、1999年に83歳で他界しました。
引用元:https://www.famille-kazokusou.com/
死因は分かりませんでした。
脇屋さんは、父親の晩年の様子について次のように語っています。
晩年は弟夫婦と一緒に暮らし、生活費を僕が援助していました。
亡くなる少し前に入院し、僕が聞いた父の最後の言葉は「頼むな」の四文字でした。
「家族を頼む」と言いたかったのでしょう。
また、脇屋さんを父親との関係性が分かるエピソードが見つかりました。
父に対しては、複雑な思いがありました。
長い間苦手でしたし、今も父の占いは信じていません。
一方で、人生の岐路に立った時、父のアドバイスの言葉はいつも的確でした。
料理人として迷った時、悩んだ時に「友詞には食神がついている」という言葉が僕を支えてくれたのも事実です。
厳格な父親だったことから、仲睦まじい親子関係ではなかったのかもしれませんが、
父親の言葉は脇屋さんを支え続ける宝物となっているのでしょうね。
父親も息子を誇らしく思っているのではないでしょうか。
脇屋友詞の弟と妹はどんな人?
出典:https://www.hokkaido-np.co.jp
脇屋さんの弟と妹について分かる情報は、見つかりませんでした。
しかしながら、母親が癌で入院した際には、きょうだいで順番に看病をしていました。
また、次のようなエピソードも見つかりました。
墓参りに欠かせないのは各兄弟が持ち寄る料理だ。
お墓の横にレジャーシートをひき、おでん、ロールキャベツなど母の好物を囲んで母の思い出を語る。
引用元:https://archives.bs-asahi.co.jp/
脇屋さんきょうだいが仲良しであることは間違いないようですね。
ともに家族を支えた経験から、その絆はきっと強いのだと思います。
脇屋友詞の実家の家族構成は5人!母親の死因はガンで父親は?弟と妹はどんな人? まとめ
202年の誕生日で、66歳になられた脇屋友詞さん。
料理人として進むキッカケとなったのは、父親の占いからだと分かりました。
今後も長くご活躍されることを応援しております。