こんにちは。
今回は、井端弘和(いばたひろかず)さんを取り上げます。
元プロ野球選手として活躍した井端さん。引退後も、指導者として若手選手を育成する姿が印象的ですね。
ここでは、井端弘和さんの実家の家族構成(父親、母親、姉)について調べてみたので、さっそく見ていきましょう。
井端弘和の実家の家族構成
出典:https://note.com/
井端弘和さんの実家の家族構成は4人です。
父親
母親:節子さん
姉
弟:井端弘和さん 1975年5月生まれ
井端弘和さんが野球を始めたきっかについて、語られていました。
小学校時代に東京、静岡で引っ越しを繰り返し、友達つくり、新しい環境に馴染むために、その地域で一番人気のスポーツを選んだ。
野球を始め、静岡ではサッカー、東京では再び野球と、スポーツに触れていきました。
ご両親や兄弟の影響はなく、自分の環境に柔軟に対応しながらスポーツを選んでいった井端弘和さん。
その選択が、最終的にはプロ野球選手としての成功につながったと言います。
偶然が重なりながらも、前向きに突き進む井端さんの姿勢が、道を切り拓いたように感じられますね。
井端弘和の父親は無口
出典:twitter
井端弘和さんの父親は、無口で控えめな方という情報がありました。
井端さんが学生時代、両親からは野球について細かく教えられたり、指示を受けたりすることはなかったそうです。
でも、中学や高校で芽が出なかったら、他のスポーツを勧められていたとか。
井端さん自身もこの考えには納得していたようで、
「もし高校でうまくいかなかったら競輪選手を目指そうかな」と、
競輪学校への進学を考えたこともあったそうですよ。
表立って応援することはなくても、父親の静かな見守りが井端さんの歩みを支えていたのではないでしょうか。
少ない言葉の中に込められた父親の温かな眼差しが、彼の成功を見守り続けた姿が目に浮かぶようですね。
井端弘和の母親は厳しい?
出典:https://twitter.com/
井端弘和さんの母親、節子さんについて、幼い頃の井端さんは、母親からよく叱られることが多かったと語られていました。
それでも、1000本安打を達成したとき、母・節子さんは答えていました。
1000本安打なんて人ごとだと思っていた。
まだここでプレーしているのも実感できないのに…。
多くのファンの前で打てて本当によかったです。
まさか打撃で記録を作るとは思わなかった。
小さいころからキャッチボールが好きで
その次に好きなのは走ること。素振りをせずに
キャッチボールばかりやっていたから。
私から『180センチあったらね』なんて 話はよくしましたけどね。
本人はそんな事は言わなかった。
頑張ればああいうふうになれると、
子どもたちの見本になっていいんじゃないんですか
出典:https://www.nikkansports.com/
節子さんは、息子の偉業を誇らしく感じたでしょうね。
節子さんの深い愛情が、井端さんの成長に大きな力を与えていたのではないでしょうか。
厳しいながらも、常に子どもを見守り、応援してきた母の存在が、井端さんの人柄にも自然と表れているように感じますね。
井端弘和の姉の年齢
出典:https://www.sponichi.co.jp/
井端弘和さんは、ふたり姉弟の長男です。
姉についての詳しい情報は見つかりませんでしたが、年齢差は2~3歳ほどではないでしょうか。
井端さんは高校進学と同時に実家を離れ、堀越高校の寮で野球に打ち込みました。
そのため、実家の姉とは自然と交流が少なくなっていったかもしれませんね。
それでも、離れていても家族の絆は変わらず、心の支えになっていたのではないでしょうか。
いっしょに過ごす時間は少なくても、家族の結びつきが井端さんの成長を支え、今の活躍に繋がっているように思えますね。
井端弘和の実家の家族構成!父親は無口で母親は厳しい?兄弟は姉ひとり! まとめ
- 井端弘和の実家の家族構成
- 井端弘和の父親は無口
- 井端弘和の母親は厳しい?
- 井端弘和の姉の年齢
を調べてみました。
最後まで、お読みいただきましてありがとうございました。