こんにちは。
今回は、中村美律子(なかむら みつこ)さんを取り上げます。
「河内おとこ節」のヒットで、1992年にNHK紅白歌合戦に初出場した、大阪・東大阪出身の演歌歌手です。
力強く、情の深いあの歌声の背景には、どんな家族の物語があるのでしょうか。
ここでは、中村美律子さんの実家の家族構成(父親・母親・きょうだい)について調べてみました。
さっそく見ていきましょう。
中村美律子の実家の家族構成は7人
中村美律子さんの実家は、両親と5人きょうだいの7人家族です。
– 父親
– 母親
– 姉(3歳上)
– 中村美律子さん(次女・1950年7月生まれ)
– 妹(2歳下)
– 弟(4歳下)
– 妹(9歳下)
両親は東大阪市の銭湯で住み込みで働き、家族7人は銭湯の裏にある6畳一間で暮らしていました。
暮らしは苦しく、中村美律子さんは小学2年生のときから、お姉さんと一緒に近鉄・瓢箪山駅の前で新聞を売っていたそうです。
始発に合わせて毎朝5時起きで、冬は外がまだ真っ暗だったといいます。
「何でウチらだけこんなことをせなあかんのやろ」
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
と思っていたそうです。
まだ小学生の女の子にとって、寒い冬の早朝はどれほどつらかったことでしょう。
そんな毎日の中でも、銭湯で歌っている時間は特別だったようです。
手伝いをしていた銭湯では、いつもお客さんを前に歌っていました。
「お風呂屋のみっちゃんは歌がうまい」と近所で評判になり、呼び止められてはみかん箱の上で歌うほどだったそうです。
歌えば周りの人が喜んでくれることを、子どもの頃から肌で知っていたのでしょうね。
客席をぐっと引き込む今のステージの力強さは、「お風呂屋のみっちゃん」と呼ばれていた頃から育まれてきたものなのかもしれません。
中村美律子の父親の死因は?
中村美律子さんのお父さんの死因は、公表されていません。
分かっているのは、1992年に「河内おとこ節」で紅白歌合戦に初出場したとき、すでに亡くなっていたということです。
お父さんは銭湯のボイラーマンで、お風呂を焚きながら、ラジオに合わせて鼻歌を歌っていたそうです。
中村美律子さん自身、「私の歌好きは、父親の遺伝かもしれませんね。」と話しています。
鼻歌を歌うお父さんのそばで育ったことが、歌を好きになる最初のきっかけだったのでしょうね。
紅白の晴れ姿は見せられませんでしたが、
「きっと天国の特等席で見てくれていたと思います。」
出典:https://post.tv-asahi.co.jp/
と語っています。
大舞台に立つ娘の姿を、お父さんもきっと誇らしい気持ちで見守っていたのではないでしょうか。
中村美律子の母親の死因は?43歳で他界
中村美律子さんのお母さんは、43歳の若さで亡くなっています。
病名は明かされていませんが、中村美律子さんは「栄養失調やと思うんです。働きづめでガリガリやったから。」と振り返っています。
家族を支えるために、自分のことは後回しにして働き続けていたのでしょうね。
お母さんも同じ銭湯で、脱衣所の掃除や、赤ちゃん連れのお客さんの手伝いをしていました。
優しい人柄で、みんなから「おばちゃん、おばちゃん」と慕われていたそうです。
中村美律子さんが小学生の頃から何度か倒れ、中学生のときに半身不随になって、話すこともできなくなりました。
そして、わずか1カ月ほど寝込んだのち、亡くなっています。
働きづめの毎日でも、周りの人にはいつも優しかったお母さん。
聴く人の心にそっと寄り添うような中村美律子さんの歌の温かさには、こうしたお母さんの姿が重なっているのかもしれませんね。
中村美律子は5人きょうだいの次女で末の妹とは9歳差
中村美律子さんは5人きょうだいの次女で、末の妹さんとは9歳差です。
3歳上にお姉さん、下に2歳下の妹さん、4歳下の弟さん、そして9歳下の妹さんがいます。
お母さんが亡くなったあと、家族はバラバラになりました。
それでも中村美律子さんは、「歌が歌えたおかげで、きょうだいのなかでも恵まれてました。」と振り返っています。
今もきょうだいで食事に行くときは中村美律子さんがおごるそうで、「みんなめちゃめちゃ仲がいいんですよ。」と語っています。
離ればなれの時期を乗り越えてきたからこそ、大人になった今も、お互いを大切に思い合える関係なのでしょうね。
中村美律子の実家の家族構成は7人!父親と母親の死因は?5人きょうだいで末の妹とは9歳差! まとめ
- 中村美律子の実家の家族構成は7人
- 中村美律子の父親の死因は?
- 中村美律子の母親の死因は?43歳で他界
- 中村美律子は5人きょうだいの次女で末の妹とは9歳差
以上、中村美律子さんの実家の家族構成について調べてみました。
最後まで、お読みいただきましてありがとうございました。