こんにちは。
今回は、 作曲家や音楽プロデューサーとして活動する
坂本龍一(さかもと りゅういち)さんを取り上げます。
『世界のサカモト』で世界的に知られ、日本で唯一アカデミー作曲賞を受賞している、
坂本龍一さんの実家の家族構成(父親、母親)が気になりましたので調べてみました。
さっそく見ていきましょう。
坂本龍一の実家の家族構成
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坂本龍一さんの実家の家族構成は、3人で次の通りです。
・父親:河出書房/新社の文芸編集者 坂本一亀さん
・母親:帽子デザイナー 坂本敬子さん
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坂本龍一さんが音楽の道に進むことになったきっかけは、
母親の敬子さんの導きによるものでした。
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坂本龍一さんが通っていた幼稚園は、「ピアノの時間」があり、
毎週のようにみんなが順番にピアノを弾かなくていけなかったと言います。
その当時について次のように話しています。
ぼくが初めてピアノに触れたのはそのときです。
3歳か4歳でした。
楽しいという感じはぜんぜんしなかったし、どんな曲を弾いたのかも憶えていない
また、ピアノだけではなく作曲もさせられたと言い、
歌詞とメロディを自作して、母親に手伝ってもらって楽譜にしていたそうです。
初めての作曲は、4、5歳のときです。
これぞまさに英才教育というものなのでしょうね。
幼い頃から音楽があるのが当たり前の環境であった事が
後の天才音楽家を作ったのでしょうね。
坂本龍一の父親の死因は多臓器不全
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坂本龍一さんの父親、坂本一亀さんは、2002年、多臓器不全のため亡くなりました。
享年80歳でした。
父、一亀さんは、怖い父親だったそうです。
父を知る人は、一亀さんについて次のように明かしています。
「ファナティックであり、ロマンティストであり、そしてきわめてシャイな人」
「私心のない純朴な人柄であり、野放図であったが、繊細であり、几帳面であり、潔癖」
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そして、坂本龍一さんも自身の父親について、
仕事が忙しくて、1ヶ月に1度顔を合わせるかどうか、という感じでした。
そして家にいればいたでいつも怒鳴っている
「とにかく怖い」
存在だった
と明かしています。
父親はとにかく厳しく規律を重んじる、生粋の九州男児だったのですね。
坂本龍一の母親の死因はがん
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坂本龍一さんの母、坂本敬子さんは2010年1月9日に亡くなっています。
甲状腺がんなど複数の持病があったそうです。
母親の人柄について、
・社交的な性格の人であった
・東京生まれの明るいヒマワリのような母親
とあり、
龍一さん本人は、母親とは
子供の頃からなんでも話せる関係でした
と、語られています。
仕事で家に居なかった寡黙な厳しい父親だったそうですので、
きっと 坂本龍一さんにとって、明るく社交的な母親の存在は大きかったでしょうね!
坂本龍一は一人っ子!
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坂本龍一さんは一人っ子、きょうだいは居ません。
新宿高校時代の、エピソードがありました。
坂本龍一さんは親友二人(現在は政治家の塩崎恭久さんとカメラマン/ジャーナリストの馬場賢治さん)
とよく喫茶店へ行っていたそうです。
何しろ坂本君は格好つけるのが好きで、格好いいと思えば何でも試みるタイプ。逆に格好悪いことはしない。
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文化祭のときに坂本君がジャズのトリオを組んで、ピアノを弾いたことがあって、女の子たちにキャーキャー言われてた。
とにかく坂本君は早熟だったね。
六八年の五月にパリで大学生が暴動を起こした五月革命があったけど、坂本君はそれに反応していたな。
国内だけじゃなく、世界の新しい動きに当時から非常に敏感だった。
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高校時代…いやあるいはそれ以前から ”サカモトワールド” は完成していたのかもしれませんね。
しかし音楽センスだけでなく、世界情勢にも深い造詣があることがわかりました。
坂本龍一の父親の死因は多臓器不全で母親は?一人っ子の実家の家族構成! まとめ
2023年3月に、71歳でお亡くなりになられた、坂本龍一さん。
その生涯は、世界中にその名を知らしめた彩り豊かなものだったことが 分かりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。