こんにちは。
今回は、布袋寅泰(ほてい ともやす)さんを取り上げます。
アーティスト活動40周年を迎え、ますますエネルギッシュな布袋寅泰さん。
今回は、実家の家族構成(父親・母親・妹)について調べてみたので、さっそく見ていきましょう。
布袋寅泰の実家の家族構成は4人
出典:https://natalie.mu
布袋寅泰さんの実家の家族構成は、次の通りです。
父
母
布袋寅泰さん
妹
布袋寅泰さんの父親は韓国人で、韓国にも家庭があったため、ほとんど家にはいなかったそうです。
しかし、父親が貿易商だったため、豪邸で暮らす「おぼっちゃん」だったようで、子どもの頃からピアノ・トランペットを習っていたそうです。
布袋寅泰さんは、かなり波乱万丈な人生だったようですね。
布袋寅泰の実家の母親の死因は脳梗塞
布袋寅泰さんの母親は、2013年に80歳で亡くなっています。
脳梗塞で倒れ、しばらくは入院していましたが、一度も意識を取り戻すことなく亡くなったそうです。
最期のときは、布袋寅泰さんと妹、その子どもたちで看取ることができたといい
母は美しい人だった。
カサブランカのように気品に溢れ、紫陽花のように優しく、向日葵のように眩しい人だった。
棺の中に入っても、その美しさは変わらなかかった。
出典:http://www.hotei.com
と綴られていました。
母親の七回忌には
故人を偲ぶことは命のありがたさを知ること。
限りある命を精一杯生きる。頑張ります。
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と投稿されていました。
2012年にロンドンへ移住する以前、母親は徒歩数分の場所に住み、布袋寅泰さんの妻・今井美樹さんと料理を作ったり、子育ての手伝いをしたりしていたそうです。
今井美樹さんと布袋寅泰さんの交際のきっかけになった曲
PRIDE
も、母親から
ピアノで、バラードのような優しい曲を弾いて欲しい
と幼少期にリクエストされていたからこそ完成したと言われています。
布袋寅泰さんにとって、まさに「最愛」の母親だったのでしょうね。
布袋寅泰の父親の死因は?
布袋寅泰さんの父親も、すでに亡くなっています。
死因はわかりませんでした。
両親が離婚してからは、父親との交流はなかったそうです。
しかし、1988年に行われたBOØWYの解散コンサートの日、父親が会場のそばで漏れてくる音を聞いていたことが後からわかり
息子に拒絶された父は、どんな気持ちでそこにいたのだろう。
誇らしく思ってくれたのだろうか?
それとも自責の念に苦しみ、血のような涙を流していたのだろうか?
時は流れ、父の子もまた、今は父。
いつの日か、異国の地に父の墓を探し、花を供えたいと思う。
願わくば雨の日に。
降り注ぐ雨で涙を洗いながら一言捧げたい。
「ありがとう」
と一言だけ。
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と書かれていました。
また、父の日には
父の気持ちが少しずつわかってきた。
と、幼少期の写真を投稿されていました。
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ほとんど母子家庭のような状態で育ち、絶縁していた父親ですが、自身が家庭を持ち、少しずつ気持ちの変化があったのでしょうね。
布袋寅泰の妹はバンドのボーカル!
出典:YouTube
布袋寅泰さんの妹・狩野環さんは
ガラパゴス
というバンドでボーカルをされていました。
ツアーの前座を務めたり、曲をカバーするなど、布袋寅泰さんと音楽での交流もあったようです。
母親が亡くなる直前も、兄妹で付き添っていたといい
妹は痛々しいほど献身的に母のそばで、母への恩返しを努めてくれた。
一生分のありがとうを、彼女は伝えらえたと思う。
母は嬉しかったと思う。
出典:http://www.hotei.com
と記されていました。
布袋寅泰さんが幼いころから、母・妹と3人で過ごし、絆は相当強かったのでしょうね。
布袋寅泰の母親の死因は脳梗塞!父親と妹の実家の家族構成は4人! まとめ
今回は、布袋寅泰さんを取り上げました。
幼少期は特殊な環境だったものの、最愛の母と妹と支え合い、ここまで来られたことがわかりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。