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【磯崎功典】異端児キリン社長、出世の理由は行動力?経歴を徹底調査!

こんにちは。

 

2020年11月26日(木) 21時54分~、テレビ東京 カンブリア宮殿
【巨大ビール会社を大改造せよ!変化を恐れないキリンの挑戦】
が放送されます。

 

【番組内容】

新型コロナで大打撃を受けているビール業界。その中で独り勝ちなのがキリンだ。
既存商品に磨きをかける傍ら「本麒麟」などヒット商品を生み出し、

今年ついにビール類のシェアで11年ぶりにアサヒビールを抜きトップに立った。

そして今“ビール依存”から脱却し「健康企業」へと生まれかわろうとしている。

変化を恐れない好調キリンを牽引する、異端児社長・磯崎改革の全貌とは?

 

巨大有名企業・キリンホールディングス社長で、
”異端児”が出世し、社長になったということが気になったので、

・【磯崎功典】経歴プロフィール
・【磯崎功典】出世の理由と経歴

 

を調べてみました。

一緒にみていきましょう!

【磯崎功典】経歴プロフィール

 

 

1953年生まれ、神奈川県出身。
慶応義塾大学を卒業後、77年キリンビールに入社。

88年に米コーネル大学ホテル経営学部へ留学、99年にグループ会社のホテルの総支配人となる。
キリンビール経営企画部長などを経て2012年に社長、15年にキリンホールディングス社長に就任。

父から譲り受けた小田原のみかん農園を管理する「みかん農家」でもある。
自身が育てたみかんを使った「磯崎さんちの小田原みかん」を関連会社のスプリングバレーブルワリーが醸造し、
同社が運営するクラフトビール専門店で提供したこともある。

 

一流企業のトップに立っているだけあって、

学歴はやはり慶應義塾大学を卒業されています。

これは異端ではなく、正統と言えそうです。

 

経歴を見ていて「?」と思ったのは、

ビール会社に入社後、

ホテル経営学で世界トップクラスのコーネル大学に留学し、

ホテルの総支配人になっているところですね!

これは確かに異端と思います。

 

また、ご実家は小田原で磯崎農園というミカン農家をされているそうです。

そのミカンを使って、ビールを作ったということも、

一般的な社長のやることでは無さそうです。

 

磯崎社長に”異端の香り”がしてきました!(笑)

【磯崎功典】出世の理由|チーズを売る

 

1970年代後半、磯崎氏20代半ばの頃、神戸支店勤務時代に、
小岩井乳業の6個入りチーズを売る仕事をしていたそうです。

評判が良いチーズだけれども、売れない。
その理由は、「高い」から。
そこでお客様が買いやすい価格、1個ずつ売ることを思いついたそうです。
工場にお願いして6個セットを小分けにし、1個ずつ刻印してもらったところ、とても売れたそうです。

 

お客様視点で考えて、工場に対して行動を起こしたこと

成功した理由ですね。

 

【磯崎功典】出世の理由|ホテル経営

1990年代の終盤、
キリンビール尼崎工場の跡地に建設した、ホテルを経営したときの逸話です。
(現在は経営権が変わり”ホテルヴィスキオ尼崎”の名前になっています)

開業後は総支配人となり、毎晩、ホテルに泊まり込んで、
夜中の呼び出しにも対応できるようにしていたそうです。
「ホテルにいた2年間は、パジャマを着たことがない」

経費を少しでも削減するために、総支配人として自ら行動したそうです。

また、元阪急電鉄社長の小林公平さんに頼み込み、

宝塚歌劇団のファン向け雑誌に、阪急グループ以外のホテルでは

異例の広告を出すことも成功させたそうです。

これにより、部屋の稼働率は大きく改善したそうです。

 

これも、ホテル経営者としての行動力を示す一例ですね。

 

【磯崎功典】出世の理由|ホテル売却

2000年代の後半、

経営企画部部長として、飲料事業に会社の資源を集中するさせることになったそうです。
飲料事業以外のグループ会社の売却が必要とされたが、各社長は説得に応じてくれない状態。
そこで、

 

自分が立ち上げた、”前述のホテル”を最初に売却することを決めたそうです。
自分でつくったホテルを売却しないで他の会社を売却していくことは、
売却グループ会社の社長の感情からも、許されない。

 

経営者として、大きなことを成しとげるためには、

自分の”こだわり”や”思い”を捨てる決断力と行動力を示していると思います。

【磯崎功典】異端児キリン社長、出世の理由は行動力?経歴を徹底調査! まとめ

 

キリンホールディングス磯崎功典社長の、
”異端児”が出世し、社長になったまとめです。

 

・高学歴”慶應義塾大学”卒業だが、キリンビール入社後に異端の道になった
・20代の頃に、お客様視点でチーズの売り方を変えるために工場と交渉した
・ホテル経営コスト削減のために、自らホテルに泊まりこんだ
・ホテル経営売上拡大のために、元阪急電鉄社長の小林公平に頼み、宝塚歌劇団のファン雑誌に広告を出した
・事業の選択と集中を実現するために、自らが手掛けた事業売却を率先して行った

 

いずれも、磯崎功典社長の行動力を表していたと思います!

最後まで、お読みいただきましてありがとうございました。

 

 

 

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