こんにちは。
今回は、倉本聰(くらもとそう)さんを取り上げます。
ドラマ「北の国から」を手がけ、多くの人々の心をつかむ脚本家として知られる倉本聰さん。
ここでは、倉本聰さんの実家の家族構成(父親、母親、5人きょうだい)について調べてみたので、さっそく見ていきましょう。
倉本聰の実家の家族構成
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倉本聰さんの実家の家族構成は7人でした。
・父親:山谷太郎さん
・母親:綾子さん
・長男 兄:渉さん
・長女 姉:絢子さん
・次男:倉本聰さん 本名 山谷 馨(やまや かおる)1935年1月生まれ
・次女 妹:聰子さん
・三男 弟:暁さん
倉本さんは大学時代から脚本家としての才能を発揮していました。
東大2年生の時に、デビュー作「鹿火」がラジオ(青森放送)で放送されたと言います。
大学生でありながら、プロの仕事をこなしていたなんて、才能の塊だったのでしょうね。
倉本さんは、脚本家という職業について、
役者には相手役がいるし、映画を撮るにはスタッフがいる。
脚本家は人も金もいらない。ペンと紙と想像力があればいろんなことができる。
全くなんにもないところから、一つのものを生み出す最初の火付け役。その位置にいたい。
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と、語られています。
どんな困難も乗り越えられる強さと、人生を前向きに生きる姿勢が感じられますね。
倉本聰の父親の死因は腎炎
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倉本聰さんの父親・山谷太郎さんは、52歳という若さで亡くなってしまいました。
死因は腎炎の再発だったそうです。
でも、短い人生の中で、倉本さんに素敵な思い出をたくさん残してくれたそうです。
倉本さんが小さい頃、英字ビスケットを万引きしてしまったことがありました。
小学1年生だった倉本さんが店先の英字ビスケットを2枚くすね、それを知ったお父様がその店の英字ビスケットを全部買い上げて、子どもの罪をなかったことにしたというお話。
ビスケットの大袋を親子二人で担いで帰りながら、子は自分の罪に思い至る……。
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きっと天国の父・太郎さんは、現在の倉本さんの活躍を誇らしく見守っているんでしょうね。
『北の国から』や『やすらぎの刻』など、人々の心に残る作品を生み出す倉本さんの姿を見て、太郎さんは幸せな気持ちでいっぱいなのではないでしょうか。
倉本聰の母親の死因は?
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倉本聰さんのお母さん・綾子さんは、敬虔なクリスチャンで、優しさにあふれる人だったそうです。
綾子さんは1974年に69歳で亡くなられました。
綾子さんは、実は倉本さんのお父さんの2番目の奥さんだったそうです。
でも、家族仲がとてもよくて、倉本さんは10歳になるまで、お母さんが後妻だということに気づかなかったと言います。
素敵な家族愛ですね。
母・綾子さんの死は、倉本さんが大河ドラマ「勝海舟」の脚本を担当し始めてわずか3か月後のことでした。
綾子さんは、息子が大成功する姿を見ることはできませんでしたが、きっと天国から倉本さんの活躍を見守っていたことでしょうね。
倉本聰の兄弟の年齢
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倉本聰さんは、5人きょうだいの真ん中として育ちました。
兄弟姉妹の年齢は、4つずつ違うそうです。
残念なことに、兄の渉さんと妹の聰子さんはすでに亡くなられています。
倉本さんは、この大家族の中で育ったからこそ、人間関係の機微や家族の温かさを深く理解できたのかもしれません。
それが、『北の国から』をはじめ、心に響く作品を生み出す原動力になったことが、わかりました。
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- 倉本聰の兄弟の年齢
を調べてみました。
最後まで、お読みいただきましてありがとうございました。