こんにちは。
今回は、元プロ野球選手で現在は、解説者やコーチ、タレントとしても
活動する鳥谷敬(とりたに たかし)さんを取り上げます。
鳥谷さんは、NPBの一軍公式戦1939試合連続出場記録を始め、数々の記録を打ち立てています。
野球ファンが歴代の好きな選手として、こぞって名前を挙げる人も多いのではないでしょうか。
そんな鳥谷敬さんの実家の家族構成(父親、母親、ふたりの弟)が気になりましたので調べてみました。
さっそく見ていきましょう。
鳥谷敬の実家の家族構成は5人
出典:https://www.jiji.com
鳥谷敬さんの実家の家族構成は、5人で次の通りです。
・父親
・母親
・長男 鳥谷敬さん 1981年6月生まれ
・次男 司さん 3歳年下
・三男 剣さん 5歳年下
鳥谷さんの、幼少期の経歴についての記述がありました。
小学生の時には東村山ジュニアメッツや小作台少年野球クラブに所属。
羽村市立羽村第一中学校時代は瑞穂シニアでプレーした。
しかし、中学2年生の冬の頃から両膝の成長痛で苦しんだことから、中学卒業を機に野球を辞める予定だった。
出典:wiki
野球をやめるつもりだったという、鳥谷敬さんでしたが、
懸念材料であった成長痛の痛みが改善したことから、1年秋に野球部へ入部
ここでケガが回復するところが、やはり野球の神様につくづく愛されているな~と、思ってしまいます。
その後の野球人生においても、
プロ志望届を提出したものの指名を受けなかったため、早稲田大学野球部のセレクションを受験。
野村徹監督(当時)から高評価を受け、この年から同大学が設けたスポーツ推薦入学枠の第1号として合格した。
また、鳥谷さんは、自身のメンタルについて次のように語っています。
野球をしていた頃、毎朝「球場に行きたくないな」と思っていた。
はっきりいえば、「面倒くさいな」といつも感じていた。
引用元:https://sports.yahoo.co.jp/
「子どもの頃から野球が大好きだった」というタイプではなく、たまたま人よりも野球が上手だったから、
小学生の頃からずっと続けていただけだった。
そんな鳥谷さんが、野球を続けるにあたり、モットーとしていたという事が次の通りです。
「他人の目」を使って自分を律する
そんな風に考えて練習に打ち込めたのも、やはり鳥谷さんの才能だと感じますよね。
鳥谷敬の父親は緻密な性格
鳥谷敬さんの父親については、次のような情報がありました。
(父親は)どちらかというとエンジニア的な頭脳を持っていて、賢いというか緻密なんです。
引用元:https://www.tokyo-sports.co.jp
学生時代の鳥谷の試合を全試合見ていて、自分でスコアブックもつけて大学通算100安打の時なんて、ちょっとした逸話もありました。
父親とのエピソードについては、
小さい頃は、親父が野球や柔道の練習を手伝いに来るのが、めちゃくちゃ嫌だった。
でも、それがどれだけ大変なことなのか、今になってわかる。
引用元:https://bunshun.jp/
大学を卒業するまで、親父は毎週必ず練習を見に来て、何かと手伝ってくれていた。
父親は、とても子煩悩な方だったのではないでしょうか。
そしてそんな父親から受けた愛情は、しっかりと鳥谷さんにも受け継がれているようで、
親父に対する感謝の気持ちを、親父自身に何かしてあげるという形で返すのではなく、親父にしてもらったことを自分が子どもたちにするという形で返していきたい。
と話しています。
とても素敵な親子関係ですね。
鳥谷敬の母親の性格
鳥谷敬さんの母親に関する情報は、見つけることができませんでした。
実家の家族関係について、鳥谷さんは、
人生を変えた瞬間というと大学3年の時に、病に苦しむ弟の姿を見た時ですね。
引用元:https://www.nikkan-gendai.com/
弟が高校2年の時、ネフローゼ症候群という腎臓病で突然、野球をやめざるを得なくなってしまったんです。
と、明かしています。
母も弟の病気を心配し、看病にとても苦労したのではないでしょうか。
鳥谷敬のふたりの弟の年齢と職業
出典:https://www.lmaga.jp
鳥谷敬さんには、ふたりの弟がいます。
・長男 鳥谷敬さん 1981年6月生まれ
・次男 司さん 3歳年下
・三男 剣さん 5歳年下
次男の鳥谷司さんは、ヤマハに勤めていると言います。
また、三男の剣さんは、スポーツトレーナーをされています。
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ボディビルダーとしても活躍されていました。
現在は、剣さんの病気も完治されているようですね。
鳥谷敬の実家の家族構成は5人!父親は緻密で母親の性格は?ふたりの弟の年齢と職業も! まとめ
子供の運動会で本気の走りをみせてワイドショーで話題となっていた鳥谷敬さん。
真摯に子供たちに、そして野球に向き合うその姿勢は、自身の父親の愛情と弟の病気があったからだと分かりました。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。