こんにちは。
今回は、山田洋次(やまだ ようじ)さんを取り上げます。
『男はつらいよ』シリーズをはじめ、家族の姿を描き続けてきた映画監督です。
その山田さん自身は、どんな家族のもとで育ったのでしょうか。
ここでは、山田洋次さんの実家の家族構成(父親・母親・兄・弟)について調べてみました。
さっそく見ていきましょう。
山田洋次の実家の家族構成は5人
山田洋次さんの実家は、両親と兄、弟の5人家族です。
– 父親・正さん
– 母親・寛子さん
– 兄・正巳さん
– 山田洋次さん(1931年9月13日生まれ・次男)
– 弟(三男)
山田さんは大阪府豊中市で生まれました。
2歳のとき、満鉄のエンジニアだったお父さんの勤務のため、満州に渡って少年期を過ごしています。
1947年に大連から一家で引き揚げ、15歳から18歳までは山口県宇部市の伯母の持ち家で暮らしました。
満州では、日本人が中国の人たちを差別する姿を見て、子ども心に違和感を覚えていたそうです。
そして戦後、今度は自分が引き揚げ者として、つらい立場に置かれることになります。
日本が戦争に敗れて、引揚者として帰ってきて、次は僕自身がうんと貧しい暮らしをする中で、差別されることがどんなにつらいことか、身に染みました。
出典:https://www.dinf.ne.jp/
貧しさと差別のつらさを、10代のうちに身をもって知ったのですね。
苦しい中でも懸命に生きる人たちに向ける山田さんの温かいまなざしは、この少年時代に育まれたのかもしれません。
『男はつらいよ』シリーズにも、その原点が息づいているのではないでしょうか。
山田洋次の父親の死因は?
山田洋次さんのお父さんが亡くなった時期や死因については、詳しい情報はありませんでした。
ただ、お父さんがどんな人生を歩んだのかは、山田さん自身の言葉からたどることができます。
お父さんの正さんは、九州大学工学部を卒業した技術者でした。
実直で黙々と仕事をこなすタイプで、大阪にあった汽車製造会社で蒸気機関車の設計をしていたそうです。
一家が満州へ渡ったのも、お父さんの満鉄での仕事のためでした。
満州で暮らしていた小学校低学年の頃、山田さんがジフテリアにかかり、明日の命も危ぶまれたことがあります。
そのときお父さんが「何でも好きな物を買ってやる」と声をかけ、山田さんは古本屋にあった落語全集を買ってもらったそうです。
敗戦で、暮らしは一変します。
引き揚げてきたお父さんには就職口がなく、一家みんなで働いて暮らしを支えていたそうです。
それでもお父さんは、苦しいやりくりの中から、大学時代の山田さんにときどきお金を送ってくれたそうです。
のちに両親は離婚することになりますが、その後のお父さんについて、山田さんはこう書いています。
母の家出という事件で父はひどく傷ついていました。三人の息子がそれぞれ家庭を持って家を離れた後、交通関係の会社の嘱託のような仕事をして一人暮らしをそれなりに楽しんでいたが、晩年はかわいがっていた末の息子の千葉の家に身を寄せた。
出典:https://www.asahi.com/
黙々と働きながら、病気の息子には落語全集を買い与え、苦しい中から仕送りもする。
不器用ながら、子どもを深く思うお父さんだったことがうかがえます。
家庭を失ったお父さんの寂しさを間近で見てきたことも、山田さんの映画の根っこにあるのかもしれませんね。
山田洋次の母親の死因は?
山田洋次さんのお母さんの死因についても、詳しい情報はありませんでした。
お母さんの寛子さんは、満州の旅順で生まれました。
楽天的で明るい性格だったそうです。女学校を卒業するまで内地の土を踏んだことがなく、日本的な因習に染まらない女性でした。
戦時中も頑としてもんぺをはかず、禁止されていたパーマをかけていました
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そんなお母さんが、思わず涙を見せたことがあります。
終戦後の大連で、一家は食べる物にも困る暮らしを送っていました。
ある日、ソ連軍から黒パンを手に入れたときのことを、山田さんはこう振り返っています。
子どもたちはみんな、こうしておふくろの手元を見ている。おふくろはなるべく均等にする。それから、これはお兄ちゃんで、これがお前、これが弟でと、こう分けてくれる。すると、大きいとか小さいとかで兄弟げんかが始まるわけだ。あるとき、突然おふくろがわーっと泣き出したことがあったね。包丁を放り出してさ。
出典:https://www.jiji.com/
硬いパンを巡って兄弟がけんかする姿に、お母さんは悲しくなってしまったのだろうと、山田さんは話しています。
山田さんが大学に入ったころ、両親は離婚しました。
「結構つらい思いをした。だって、家庭がなくなっちゃったんだからね」
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と、当時の気持ちを明かしています。
山田さんは、後のインタビューで、
「ぼくのおふくろも再婚したからね。おやじがまだ生きているうちに再婚したのだから。おやじは非常に傷ついて。」
「どちらがいいとか悪いとか、そういうことじゃない」
出典:https://www.tokyo-np.co.jp/
とも話しています。
お母さんは91歳で亡くなりましたが、最期に「洋次、私は、決して後悔してないからね」と言い残したそうです。
時代の常識にとらわれず、自分で選んだ生き方を最後まで貫いたお母さんだったのでしょう。
そんな両親の姿を見てきたからこそ、山田監督は家族の矛盾や複雑さを、やさしいまなざしで描き続けてこられたのではないでしょうか。
山田洋次の兄との年齢差は2歳?弟は三男
山田洋次さんは、三人兄弟の真ん中です。
お兄さんの正巳さんは、山田さんより2歳年上という情報がありました。
正巳さんは広島大学を卒業後、広島県で地学の教師を務め、2024年6月に亡くなったそうです。
出典:https://houyoukai-tokyo.exp.jp/
弟さんは三男で、末っ子です。
名前や、山田さんとの年齢差については、詳しい情報はありませんでした。
晩年のお父さんが身を寄せたのは、この弟さんの千葉の家でした。
大連で黒パンを分け合った三兄弟は、大人になってそれぞれの土地で、自分の人生を歩んでいったのでしょうね。
山田洋次の実家の家族構成は5人!父親と母親の死因は?兄との年齢差は2歳?弟は千葉在住まとめ
- 山田洋次の実家の家族構成は5人
- 山田洋次の父親の死因は?
- 山田洋次の母親の死因は?
- 山田洋次の兄との年齢差は2歳?弟は三男
以上、山田洋次さんの実家の家族構成について調べてみました。
最後まで、お読みいただきましてありがとうございました。